どこかで見た、コントロールを喪失したビョークのような歌声、という表現がしっくりくる
ロックヴォーカリストの、ケイティ・ジェーン・ガーサイド
完全にイッちゃっているロックねーちゃんであるけれども、私の心の支えである。
彼女の声を聴いていると、あんたはあんたのままで良いと言われている気がするのである。
punk is attitude not style
ジョー・ストラマーの名言を体現している。好きだ。
学生の頃に、課外授業で現代美術館に連れて行かれた。
マルタン・マルジェラの展示で、バクテリアやカビなどの菌を塗布した変色して行くドレスが、中庭に置かれていた。
私はそれに魅了される友人たちの姿を眺めて、くすくす笑ってしまった。
おかしいって。わかるけど、おかしいってば。
「わかるけど」
美術館に入る前に友人たちと煙草を吸っていて、入場時間に遅れてしまい副担任に叱られたこともよく覚えている。
私はその時、展示されているカビドレス、その根っこのコンセプトがしっくり来たのである。パンキッシュな哲学が。
私のそれまでの人生では、「変わったものを好む」ことに対して共感されることなんてあまりなかった。
だけど、カビの生えたドレスに魅了される級友たちを見て、ここに来てよかったと思った。
あんたたち、変だよ!
社会人になってから、その感覚はことごとく否定されることになる。ファッションの世界に身を置いたのはほんの2、3年だったから、そのあとの社会生活ではアバンギャルドな芸術を好む感性やファッション性は必要なかったのである。
糸の先をほつれさせた服を着ていれば「糸、切ってあげる」と言われたし、破れたデザインの服は「直してあげようか」と言われた(笑)
私がかっこいいと思うものは服であれ音楽であれ「おかしい」ものとなっていった。
だけど私は私と、言い切れる自信もはじめから無かった。
そこから20年近くの年月が過ぎ、組織に所属しなくなって久しい。
周りに合わせる必要などないのだとやっと気づいて解放されはじめた頃には、学生時代の友人とは疎遠になっていた。
あの頃の皆、元気かなあ。
10年くらい前だったか、ミシンを踏みながら、そんなことを思って、ふいに涙がこぼれる瞬間があった。
なつかしさに涙をこぼすなんて、年を取ったなあと思った。
そこからさらに年月が過ぎて、一度は捨てようと思ったミシンを今また踏んでいる。
ここから、ひとりで勝手にブランクを取り戻すのだ。好きなものを好きと言えることに感謝しながら。
ミシンを踏んでいたら、ウェディングプランナーのお仕事をしないかというお誘いをいただいて。
畑がちがーう。って思った次の瞬間、ええと話がよくわかんないけど、だけど、いいよ!って返事をしていた。
詳しいお話を聞きに行って、何をどうしたらいいんだろう?とメモを取って
そのあと、約束していた出張ヨガのレッスンをしに、ある場所に行った。
ヨガのレッスンは、息をするように、当たり前のように、できるのである。
ウェディングの仕事については、当たり前ではないので、お話を聞きながら少しの緊張があったけれども
ヨガのレッスンは、息をするように。
ああそんなこと、初めて気づいた。
当たり前すぎてわからなかった。
慣れないことをすると、慣れてることに対する「慣れ」をさらに自覚することになるんだ。
面白い体験でした。
だけど私は、常に刺激が欲しい。いつでも泳ぎ回って走り回って「お金にもならないのにどうしてそんなことするの?」って言われることもたくさんあった、でも泳ぐことも走ることもやめない。
理由なんかわかならい。やりたいから、やる。お金になってもならなくても、それはお金になることがひとつあってこその贅沢かもしれなくても。
人が好きで、とても好きで、信頼したりし合ったりすることも、人生の喜びであると感じるから。それも、ヨガ(つながり)である。
ヨガは、無限の可能性を秘めている。
ポーズだけがヨガではないというのは、自信を持ってポーズを指導できるようになってこそ言い切れるようになったこと。
ありとあらゆるヨガを、実践しましょう!
香耶