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SATTViCA ブログ

安心する権利についてなど kaya

長らくブログを更新できずにいました。

かつて、私生活についてあれこれ「切り売り」することが、私の仕事のやり方でした。
ある理由でそれができなくなって、何も話せなくなって、発信をやめてしまいました。

インスタやfacebookにはある程度のことは記録してきたけれども、私の大切にしてきたサトヴィカの、HPに付随するこのブログには軽々しいことを書けない。
そうきっと、SNSは軽々しいのがいいのだと思います。

 

「ある理由」について。

 

昨年夏、離婚を機にスタジオをクローズして、仕事を8割がた失いました。

生活費もなく、このままでは1人で生きていけないなと思った矢先に、かつての恋人とよりをもどしました。
聞く人が聞けば、ひどい話なのかもしれません。

 

だけど私はそれを運命と信じて疑わず、私が生きてさえいれば手放してしまった子どもたちともまた一緒に暮らせるのではないかと、淡い期待もしていました。
人生はそう甘くないと重々承知で、でも私が私らしくいることを許してくれる人と深い呼吸さえしていれば、道は開けるかもしれない。
恋人と暮らしながらスタジオの近くの飲食店でアルバイトをさせてもらって、職探し。

 

置いてきた子どもたちのことを夢に見てはうなされる日々でした。
得意のオフィスワークを食い扶持とできることになって、アルバイトをやめました。
家族になろうと合意して、恋人は夫になりました。

 

子どもたちが、私が再婚したことを受け入れないのではないかと思い、迎えには行けなかったけれども、たびたび食事を共にしてはいつでも一緒に住みたくなったらそう言ってねと伝えていました。

 

私は子どもたちの家からそこまで遠くない場所から、子どもたちの家の近くまでヨガの仕事をしに通っていました。
だけど子どもたちは私が少し遠い埼玉の実家に住んでいると信じていて、それが思いもよらない形で暴かれました。
川崎市役所からのとある通知書が前の夫に届き、私の再婚が知られることとなったのでした。

 

離婚した人が再婚した場合、離婚前の家族はその戸籍を追うことができません。
なのに、川崎市役所はそれを飛び越えて前の家庭に私の今の姓を通知したのです。

 

息子が「お母さんと一緒に住みたい」と言ったときに、すべてを話す時が来たとわかりました。
私の家から、今の学校に通えると伝えた時、息子の目に輝きがよみがえったように見えました。
「いつ引っ越せる?」とLINEが来た時、「すぐにでも」「手続きはお母さんがするから、いつでも来ていい」

 

たくさんの荷物と息子を車に乗せて自宅に向かう道すがら、嘘ついててごめんねと言ったら、息子は「ダイジョーブ」と2歳の時と同じ口調で。

 

そう、もうダイジョーブ。
子どもたちをたくさん傷つけた履歴を消すことはできないし、自分を正当化しようとも思わない。
だけど誰もが、安心して暮らす権利がある。

 

私も息子も、自分の安心を優先できてよかったのだと信じています。

 

安心はどこにある?おそらくそれは外に求めるものではなく、自分で感じるものです。

手前味噌ですが、ヨガをする時間は安心安全でしかるべき、なのです。

ヨガや瞑想にかまける時間は、皆さんにこの上なく無防備であってほしい。

無防備でもダイジョーブ。

そう思ってもらえるようなレッスンができたら、もう私はそれ以上望むものはありません。

 

私を取り巻く状況は、めまぐるしく変わり続けています。

だけど、ヨガを伝える時間は守りたい。

どんなに変わっても、火曜日と日曜日はヨガの日であってほしい。

 

週1回でも2回でも、どうか無防備に。

スタジオでお待ちしています!

 

ホワイトデイ、夫にもらったウサギチョコ。
ウサギはかわいい。

 

香耶