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迷走するエンパス、増量しました 加藤香耶

闘病(というほど大変なものではないのですが)生活7年目の「自己免疫疾患」が表す通り、私は自分と他人の身体の区別がつきません。もっと言うなら、心もです。

 

ブログに書く言葉も、たいての場合は本当に私の言葉なのかわからないまま書いています。

 

電車が苦手で、なぜなら知らない誰かの痛みや心地よさ、悲しみや喜び、頭痛も風邪も二日酔いもストンと当たり前のように私に入ってくるのが、疲れるから。

 

境界線を引けないのは、あなた自身に他人をコントロールする問題があるからだと、様々なエンパス関連の本に書いてあって、たしかに私の問題なのだと思う。

だけどどんなに暗い部屋にこもっても瞑想をしようとしても、自分が自分でしかないという体験は、できた試しがない。

 

HSP(敏感すぎる人)もエンパス(=共感力の高い人、聞き上手とか傾聴できるとかではなく、心身が他人になるタイプ。)もただの性質だと言われても、そんなこと望んでないのになと

 

頭を心臓より下に下げているのは目の前でダウンドッグをしている生徒さんなのに、どうして立っている私の頭が下を向いた人のようにグラグラするんだろう?目の前にいる人の苛立ちが、どうして自分のものになってしまうんだろう。

 

誰が望んでそんなことを体験したいと思う?

 

そう思っていた時は、苦しくて仕方がなかったけれど。

 

目の前にいる人に共感することが使命なのだと気づいてからは、どうか誰もが癒されるようにと、願えるようになりました。
経絡リンパケア(オイルトリートメント)をやりたいと思ったのも、そのあたりにきっかけがありました。
素肌に触れると、共感しやすい。触れ合って、共感して、癒して、癒される。なんかそれ、ラッキーじゃない?

 

誰かの痛みを愚痴や身体症状として受け取っていた時は、さほど食事を取らなくても平気だったりした。
今、共感力が鈍っているのではないか?と思う日々が続いて、すると誰かの痛みやなにかを栄養にして生きることができなくなって、物質からの栄養をたんまりと取って、5kg体重が増えました。
おまけに食べ盛りの息子の影響を受けまくりで自分の身体が息子になってしまって、食べるのが本当に止まらなくて、ああ重い。ヨガの練習は1/5くらいに減っていたと思う。

 

人に共感できなければ、私はきっと生きる意味を感じられないのに。
どうにかしないと。文字通り重い重い腰をあげましょう(5kgって3ヶ月の赤ちゃんくらいですよね…)。

 

ここのところ、共感力を取り戻すべくアーシングパッチを足に貼って寝ています。
大地とつながるアーシングを、家でできるツールを使って。

 

海に行きたい
山に行きたい
森に行きたい

 

はだしで野山を歩き回りたいなあ。
はだしのウサギをなでながら自然に想いを馳せる日々です。

 

 

干し草でできた部屋を食べたら壊れてしまったのでふて寝。

 

食べるには硬すぎる、木製の新しい部屋に戸惑う→無いよりは良いと思ったらしい。

敏感すぎるうさぎは、私を選んでやって来たのかな、どうかな。

 

香耶