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SATTViCA ブログ

足るを知る、私たちはもう全部、持っている 加藤香耶

ヨガの経典ヨーガスートラに「サントーシャ」という教えがあります。
santosha、知足。「足るを知る」という意味です。

 

ヨガでいうところの「知足」とは、「私たちはもう全部、持っている」ということである。
というようなことが、今号の雑誌yoginiの、ヤマ・ニヤマ(ヨガ哲学)特集に書かれていました。
わかりやすい表現だと思います。

よく使われるたとえ

 

コップに水が半分入っているのを見て

 

「もう半分しかない」と思うか、「まだ半分ある」と思うか。

 

前者がネガティブであり良くないこと。
ヨガの叡智を駆使して、いつでも前向きな後者になりましょうという流れでお話をするのが、当時私が身を置いていた場所では主流でした。

 

ヨーガスートラについて書かれた本をいくつも読んで「果たしてそれ(=前向きが良い!)が正解なのか?」私は考えすぎてわからなくなり、2年ほど放置しました。
いえ、今になって思うのは「半分あるなあ」という見方もあるのではないかということを、言いたくて言えなかったということ。

なんなら「半分しかない!と焦っているなあ」「半分もある~と嬉しくなってるなあ」と、俯瞰する見方もある。当時、ヴィパッサナー瞑想の修行に行った直後だったためにブッダの教え「そのまま観る」という視点に感銘を受けていたこともあり、そんなことを考えたのだと思います。

 

そんなことを考えられること=喜んだり悩んだりしながら生きていることが、すでに足りているということだよ!ということを、ヨーガスートラは言ってるのではないか。

 

佐保田鶴治先生(ヨガの研究者)の本を読みながら思いました。

 

でも、それを言ってしまうと「コップの水の量をどう考えるか」なんてどうでもよくなってしまうのです。

 

ヨガ哲学を掲げて、AとBのどちらがいいか悪いか決めて話すのは難しい…

 

そう呟いたら、当時の仲間に「かやさん考えすぎですよー」って言われた。うん、そうかもしれない…

 

「半分しかないから、今のうちに水を足しておこう」
よく気付く人なら、そんな風に先回りができるかもしれないし

まだ半分ある~、と油断していたら、気づいた時には蒸発して水が減っていたなんてこともあるかもしれない。

なんでもいいんだな。やさしい教えだ。

頭では理解していても、いざ自分のこととなるとそんな風に「なんでもいい」と思えないまま、その後何年も過ごしました。

 


2016年まで、私は「燦燈舎」という名前で活動をしていました。
さんとうしゃ。サントーシャです。

 

名前負けしてたなとも思うけど、それで良いんだ。その時があって、今がある。

サントーシャ、もう一度読み返して、大切に胸にしまいます。

 

香耶