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SATTViCA ブログ

坐らない瞑想こそ瞑想的 加藤香耶

満月前、なんだか気持ちが浮つきがちです。

食欲が増したり、やたら眠かったり。
食べ過ぎるので眠くなるという説も自分の中であります。
季節の経絡が強く反応することも。

 

地に足をつけましょうと、ナチュラルアーシング。
溝の口からバスで初山に向かい、「とんもり谷戸」
屋外クラスでたびたび訪れている場所です。

森に入ってすぐ、水の音がする。今日はだいぶ風があって木々のざわめく音が声みたいに聴こえる。
それにしても誰もいなーい。
心置きなくハダシ。マスクも取って、のんびり歩く。

途中、コンクリートかモルタルか、人工的な材質の橋を歩くと、陽射しで熱くなってる。
アツイ、アツイ、と少し飛び跳ねながら進む。
土の道に戻って一安心したかと思えば今度は車道に出る。
でもアスファルトは、慣れたもの。靴より速く歩ける。

 

また土の道に戻って、鼻歌を歌いながら歩く。
※私の鼻歌はたいてい、安室ちゃんのDon’t wanna cryか、浜崎あゆみのSeasonsです、なぜか。
オリコンのヒット曲って、きちんと聴いたことないのにね。なんだか癖になる…

 

プラネタリウムの前の芝生で寝転ぶ。足裏は大地につけたまま。

子どもたちの嬌声を聴きながら「オカアサーン!」「コッチきて!」と叫ぶちいさな子どもたちに、10年前の我が子たちが重なる。
「トイレがまんできない」
「ええっ、早く言ってよ!」「◎◎ちゃんここで待たせるわけにいかないし…」「もう!」
1歳と3歳くらいの子ども達2人を一度に抱えて走り出すお母さん。
手伝うよ!とか、妹ちゃん見ててあげるよ!とか声をかけたかったけど、そんな隙も無かった。

 

時間が経つのは早い。
あの頃よく時間をつぶしていたダイエーが、ほぼ解体されていた。
いろいろ、変わっていく。

アニッチャ=無常

私たちの心は、身体は、一瞬一瞬変化している。
変わり続けるものに執着する意味はない。そもそも私たちと言う存在が幻なのだ。
仏教の古典瞑想はそんなことを真理とする。

あの時ああすれば良かったとか、あんなことするんじゃなかったなんて、考えても仕方ない。過去への嫌悪を手放そう。

もっとこうしたい、こうなりたい!という未来への渇望も手放そう。

そもそも、「私」なんて、無いのだ。執着しなさんな。

それは理解するのが難しいようで寂しいようで、でもなんだか安心したりもします。

 

私たちはもっと自由になれる。

日々の瞑想の時間には、そんなことを教えてもらっています。

はだしで歩いたり、なにかに夢中になることも、瞑想のひとつ。

 


先週土曜日に開催の「自己肯定感を高めるヒント3」はアートコラージュを作りました。
瞑想のクラスよりももっと瞑想的でした。

ご参加のEさんからいただいたご感想

コラージュ作り、始めてやりましたが、とても楽しかったです。
工作系は苦手で上手く出来るかなと初め思ったのですが、材料集めを始めたらそこからすでに楽しく、上手く作ろうなんて欲はなくなりました。
ただ、ただ、好きなものを並べていたら、自分の人生を眺めているような気がしてきて、私の人生は幸せだと心から思えました。
皆さんの作品を見たり、シェアする時間もそれぞれが現れていて、楽しいアートな時間でした。

ご参加、ありがとうございました!

 

香耶