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SATTViCA ブログ

エンパスであること 加藤香耶

高校生の時に楠本まきさんの「致死量ドーリス」という漫画を読んだ(わけあってサイン入り)。
相手の望むように自分を変えてしまう美少女の蜜。
当時の私には物語のテーマは見えていなかったし、自分のことをわかっていなかったから、自分を変えてしまえる蜜が素敵に思えた。

 

当時の私は、自分て、なんなんだろう?ということを考えたことはなかった。自分の意思というものがなかったから、考えるまでもなかった。
母と、少し年の離れた姉に構われて育ったという生い立ちも少なからず影響したとは思うけれども、
私は小さい頃から人に頼っていたし、生まれつき人との境界線が薄いのだと数年前に気づきました。

自分の考えなのか、他人の考えなのか、今でもわからないことがたくさんある。
誰かと話していると、私はうっかりその人自身になってしまうので、「この人合わないな」とか「この人の言っていることは理解できない」なんてことはあまりない。
話を聞き終わったら、自分の考えと目の前にいる人の考えを整理して、区別する。そこで「その考えはわからない」と思うことも出てくる。
それが、近年、できるようになったこと。

混乱することがあるとすれば、大勢の人がいる電車の中や、お店の中。一定の人数以上の人との会話。
自分の中に数人~数百人の人の意識や感覚がが入り込んできて、頭が割れそうになることがあるけれども、リカバリの方法も心得ている。

 

それまでは精神的に人にコントロールされるのが楽だったから、支配したい人にくっついていきがちだった。
自分が無いから、支配してもらえないと困るのである。

だけど結局、私にも自分に気づかない「自分」があるので、最後まで支配されることはできなくなったのが36歳の頃(最近ですね)。
それまでは、支配する人される人という関係にひずみが出て、なんだかごちゃごちゃしてしまったことも何度かある。

 

誰かの思い通りにならなくて良いのに、そうするしかできなかった私に必要なのは、対等な人間関係と、心の底から人を信じる練習なんだろうな、と思い始めて久しい。

共感することで疲れ果てるのに、共感することで生かされていると感じる。

私のクラスでは、小話の時の受講される皆様の様子やシャヴァアーサナの状態に共感して、それに合わせてレッスンのシークエンスを決めるという、特殊な方法を取っています。
1日として同じレッスンはないということ。一期一会の出会いに感謝の日々です。

香耶