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「小話」のこと 加藤香耶

2019/01/07

皆さまが、サトヴィカのクラスに参加する目的は、なんでしょう?

身体がすっきりするから、慢性の肩こりや腰痛が良くなるから、なんとなく心が落ち着くから、自分のための時間を過ごしたいから、ここに来るとなぜか病気の症状が消えるから、ヨガをするとよく眠れるから、呼吸が深まるから、身体の力が抜けるから、チャクラのことを知りたいから、手当てが気持ち良いから

なるほどということから、そんなことがあるのかー!という意外な感想も多たびたび々お聞きします。

サトヴィカのクラス(ここでは、一般クラスのお話とします)と言ったら、なんのクラスでしょうか?

ヨガ。
手当て療法。
瞑想。
いくつかの答えがあがるかと思います。

クラスの中でも特徴的なのは「小話」だと理解しております。
数えきれないほど、インスタントなヨガ哲学の小話をしてきました。

最近ではヨガ哲学に限らないお話をする場合もあります。
というのも、レッスンを始めた当初とは、小話の意義が大きく変わったからです。

陰ヨガを知って、できないポーズをいつまでたってもできるようにならない理由を知り、誰もがそのままで足りているということに気付いた頃から、私にとって心や身体の不足を補うためのものであったアーサナやヨガ哲学は、ありのままを受け入れるための叡智なのだと気付きました。
見方が変わったというだけのことでした。ただし、大きな変化でした。

アサナを深めるうえでも、ヨガ哲学を無視することはできません。
その叡智を大切に思うからこそ、私はそれをアサナの前に、インスタント哲学講座のようにして伝えることができなくなってきていました。

ヨガの教えを実践してこんなにも幸せなんだぞと慢心するでもなく
ヨガの先生なのにこんなことに動じてしまって…もっと頑張らなければダメよねなどと執着するでもなく

それはアサナにも通ずるものです。

こんなに難しいポーズをできるようになったんだぜと慢心せず
このポーズができるようになりたい!と執着するでもなく

ただ淡々と、黙々と、今の自分に向き合うためのヨガ。
そのためには、アサナの時間はアサナをじっくり伝えたい。
レッスン前の小話がヨガ哲学のお話に限らなくなったのは、そういった理由からです。1年以上前からペアワークを必須としなくなったのも、同じ理由です。

そして、哲学を学ぶための座学の時間は、哲学をじっくり、皆様とお話しながらもじっくり、私の小話もふまえて伝えています。

座学のクラスは始めていましたが、一般クラスにおいてアサナと哲学をきっぱり分けたいと思ってから、決断までにずいぶん時間がかかりました。
私にしては、ずいぶん長くかかりました。

守破離だよ、加藤さん

何年か前にかけられた、恩師からの言葉には重みがありました。
守って守って守り抜いて学んだヨガの知識を持って先生から離れたのに、私はあえて「破」の部分の手を抜きました。破らないでいることが時に誇りでさえありました。
そうしたら、ほころびが目立ってきて気になったので、今回自分の手で破くことにしました。とても丁寧に、破りました。

当時ナヴァアーサナもチャトランガもヘッドスタンドもできる気配がなく、ポーズができなかったからこそ、私にできるヨガを!とひたすら本を読みふけり哲学の学びにのめりこみました。
前述の通り、今では、哲学は私にとって不足を補うものではありません。ポーズへの執着もいつしか消え去りました。
その方針はクラスに参加される皆様にも伝わっていると感じています。
クラスでは今までの形式では哲学のお話はしなくなりますが、大切に思うからこその決断です。

長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。
これからも、サトヴィカ・ヨガスクールをよろしくお願いいたします。

加藤香耶