サトヴィカについて


We are always BEHiND you (加藤香耶)

スポーツクラブ、DVDでのヨガ体験(2006-2011年) 

ヨガスタジオ、ヨガスクールの扉を開く(2012年)

退職と難病の兆し(2013年)

ヴィパッサナー瞑想との出会い(2014年)

強引な体重増加、闘病生活のはじまり(2015年)

インド旅行(2015年)

東洋医学、アーシングとの出会い(2016年)

サトヴィカ・ヨガスクールのスタートと陰ヨガ(2016年)

ハンドヒーリングによる身体の変化、本山式経絡体操との出会い(2017年)

おわりに

 

スポーツクラブ、DVDでのヨガ体験(2006-2011年)

20代の半ば、スポーツクラブで数回ヨガのプログラムに参加したことから、私のヨガは始まります。その後、第一子を出産してから「産後ヨガ」のクラスに半年ほど通いました。

しかし、その頃の私は、多くの方がそうであるように、ヨガとは身体を柔軟にするストレッチ体操のようなものと思っていました。

そんな私が転機を迎えたのは、年子となる第二子を産み、子育ての真っ只中でのことです。もともと頑丈でなかった身体は、疲労でさらに弱り切っていました。どこにも出かけられない身体をなんとか奮い立たせて、私は自宅でDVDを見ながらヨガの練習を再開したのです。教材は綿本彰先生の「シンプルヨーガ」、マック久美子先生の「ヨガ・ベーシックス~初級編」、そして「ヨガ・ベーシックス~ストレス解消編」でした。

10時頃、子どもたちを寝かしつけてから居間の灯りを落とし、DVDの教え通り真剣にポーズを取る毎日…。でも、身体は正しく使えているのか、気になっていました。

ヨガスタジオ、ヨガスクールの扉を開く(2012年)

しばらくして、派遣社員としてフルタイムの仕事を始めると、タイミングよく最寄り駅の近くにヨガスタジオがオープンしました。さっそくそこに3か月ほど通ったのですが、身体が使えているのかどうかはまだわかりません。ただ、習い事の時間を持ったことが心の栄養となり、リラックスしたことは確かです。

しかし一方では、夫の休日に子どもたちを預けることのうしろめたさも感じていました。夫の時間を奪い、私だけが羽根を伸ばしていいのだろうかと…。

それでもヨガをもっと習ってみたい気持ちは増すばかりで、突き動かされるようにヨガのインストラクター養成コースを探し始めました。といってもインストラクターになるつもりはなく、資格を取れるくらい習えば、自宅で練習ができるのではないかと考えたのです。

やっと見つけたそのスクールは、スタジオの心地よい静けさが気に入りました。当時、私は「精神安定剤を手放せない」という悩みがあったのですが、それを克服したという先生に出会え、励まされたことが決め手になりました。体験レッスンに一度出ただけで、すぐに50時間のティーチャートレーニングコースを始めたほどです。

しかし、初日を迎えた私は、同期の仲間たちのきらきらとした笑顔に気後れしました。自己紹介はしどろもどろで、正しい姿勢で直立をするシンプルなポーズ「ターダアーサナ」はまったくできません。基本のポーズのひとつ、アドムカシュワーナアーサナ(ダウンドッグ)では腰が反り、上腕が痛くてすぐに膝をついていました。

それでも、何度か通ううちにできなかったポーズも少しずつ保持できるようになり、次第にヨガ哲学の魅力にとりつかれて行きました。と言ってもその頃は、コースで使った数冊のテキストの一部を読み込む程度でしたが…。

さらに50時間のコースにステップアップし、哲学もアーサナも難しくなって、「これは大変だ!と思いましたが、逆境に向かえるだけの気力と体力が戻っていました。毎月必ず内科に通っていたのが、気が付けば一切風邪をひかなくなっていたのです。

毎朝時半~6時に起きて、保育園の送りと仕事の前に時間前後のセルフプラクティスをするのが私の日課でした。サーランバシールシャアーサナ(ヘッドスタンド)は、壁を使って正確に分。壁を使わずにできるようになるまで、2年もかかりました。立つのもやっとだった私が、今、オープンのクラスで指導しているような数々のアーサナをできるようになるまでには、かなりの時間を要したのです。

そのコースが終わる頃、仲間達と共に時間を過ごしたい、もっと先生にヨガを習いたい、というシンプルな思いから、ティーチングスキルを身につけるための100時間の集大成コースに進みました。5日連続10時間を2クール。前期と後期の間にも課題がたくさん出されて大変でしたが、有意義な時間でした。

 

退職と難病の兆し(2013年)

コースの卒業とほぼ同時に内臓の炎症で入院しました。原因がわかならいまま薬も処方されずに退院。不安な日々を過ごしましたが、激務に追われる日々に終止符を打つため、派遣の仕事をやめました。

病院では難病の可能性を示唆されましたが、検査の結果、そうとは言い切れないという曖昧な診断をされました。

仕事を辞めることが決まった頃、ヨガの母校で事務スタッフを募集していることを知り、すぐに応募しました。尊敬する先生のもと、大好きな場所で働きたい! すぐに採用の連絡をもらい、勢いよくその仕事に飛び込みました。

しばらくして、その母校で産後ヨガのクラスを持たせてもらうことになりました。それが私のレッスンの原点です。スタッフとして、産後ヨガのインストラクターとしてさまざまなアイデアを出し、形にしました。

それと同時に地元で自身のヨガ教室も立ち上げました。当時住んでいた街での公民館でのクラスと、今住んでいる街での神社クラスです。

精神安定剤は、いつの間にか必要なくなっていました。

 

ヴィパッサナー瞑想との出会い(2014年)

ヨガの教えをさらに広めたいという思いから、ティーチャートレーニングでお世話になった師の門下生となりました。

当時、私はスタジオと地元で合わせて週に10クラス以上担当し、不定期でティーチャートレーニングコースのアシスタントもしていました。しかし、心身ともに丈夫になったとはいえ、まだ神経過敏で心が不安定でした。

そんな私に師が勧めたのは、「ヴィパッサナー瞑想」の10日間コースです。ヴィパッサナーとは、観察をすること。無言の瞑想修行です。

コースの初日に突然、空きが出るというハプニングが、キャンセル待ちをしていた私に幸運をもたらしました。それは素晴らしい体験でした。

とはいえ、最初から順風満帆というわけにはいきません。途中、子どもの顔が浮かんで、帰りたくなってしまったり、1日に何時間も坐すことで、身体の痛みも激しく起こたりして、何度もくじけそうになったのです。

特に、右の鎖骨の下あたりが激しく痛み、何度も悲鳴をあげそうになりました。しかも、その場所に冷たさも感じるのです。別段負荷がかかる姿勢でもないのに、なぜだろう。疑問には思いましたが、誰かに尋ねることも許されないので、黙って観察し、続けるしかありません。

結局、痛みや冷たさの原因はわかずじまいで、克服もしないまま帰宅しました。そして、そのことはしばらく忘れていました。

 

強引な体重増加、闘病生活のはじまり(2015年)

帰宅後、私はダイエットとは逆のことを始めました。瘦せ細っているため、筋力を要するヨガのポーズがいくつもできなかったからです。精神のトレーニングの次は肉体を…。心と体を切り離して考えていた私は、太れない体質だと諦める自分が許せなかったのです。

とにかく食べて、まず2週間で3キロ増やしました。少し恐ろしく思いましたが、その後も2週間で2キロ増え、最終的に、2か月で7キロまで増えました。

自分が自分ではないようで複雑でしたが、そんなにも体重が増えたのは生まれて初めてだったので、恐ろしくも嬉しかったように記憶しています。トレーニングジムにもせっせと通って、負荷の高いプログラムをこなしていました。

数か月後、体調に異変を感じ始めました。でも、息子の小学校入学など環境の変化があり、忙しさにかまけて気付かないふりをしていたのです。

そして5月のある日、ついに身体が悲鳴をあげました。何日も高熱が続き、解熱剤でごまかし続けるにも限界が来て、全身の焼けるような痛みにのたうち回わる始末。駆け付けた実母に付き添われて病院に行き、そのまま入院することになりました。

さまざまな検査を受け、ようやく炎症性の難病「ベーチェット病」であると判明しました。過去にもこの病気は片鱗を見せていて、何度か同じ種類の痛みに苦しんだことがあったものの、病名がつかなかったため治療ができなかったのです。

劇薬が処方されることを知り、心の底からホッとしました。やっと痛みから解放される…。免疫を抑制する薬も処方されました。しかし、その安堵感とは裏腹に、薬がないと生きていけない身体になったことに、心の奥底で絶望を感じていたのです。

あの時、あんなことをしなければ…。
いや関係ない。ヨガの教えでは、すべての出来事に意味があるって…
でも、私は私自身に暴力をふるった。ヨガには非暴力という教えが…
さまざまな考えが頭をよぎり、病気であることを周囲に隠したり、なかったことにしようとしました。

 

インド旅行

免疫抑制の薬が手放せない私が、衛生状態のよくないインドに行くのは無謀だったかもしれません。でも、当時いたスタジオでは、ヨガのインストラクターとして自立するのにインド旅行が義務付けられていたため、インド旅行を決行したのです。

さすがに、食事には気を遣い、一流ホテルのレストランや空港のきれいなお店でしか食事をしませんでした。インドに来たというのに、屋台の食べ物はもちろん、カレーさえもほとんど口にしていません。インドらしからぬ思い出ですが、スパイスが腸管を刺激して病気が再燃することを恐れたのです。

ピカピカのホテルで、毎日のように通ったそのレストランは、「sattvic」という名前でした。ヨガでは「サットヴァ」という言葉が「純質」と意味で使われまが、その形容詞のようです。

短い旅行で、体調に問題なく帰国しました。そして薬を使って調子が良かったことで勘違いした私は、少ししてから医師の許可なく薬を勝手にやめようとしました。

 

東洋医学、アーシングとの出会い(2016

薬をやめた私を待ち受けていたのは炎症の再燃でした。寝込むほど重い体を引きずって、駅前の子供たちを連れていける鍼灸院に、ふらふらになって駆け込みました。薬の副作用にも悩まされていたので、藁にもすがる思いで東洋医学に頼ったのです。

そこはとても居心地の良い治療院でした。ほぼ初めてに近い鍼治療を受けて、ヴィパッサナー瞑想の時に感じた鎖骨付近の痛みと冷たさが蘇るのを感じました。

「びりびりします」
「肺経(※注1)ですね」

右手の母指球が腫れて熱を持っているのは、アームバランスポーズのやり方が間違えていると思っていましたが、それも肺経だと知りました。内臓の炎症はすぐに取れて、身体が楽になりました。

その日、先生が勧めてくれたのが、「アーシング」という裸足で大地に触れる健康法です。その時は「ただ素足で大地に立つだけ」くらいにしか思わなかったのですが、頭の片隅に強く焼き付いていたのでしょう。しばらしく治療に通ったのち、私は思い立ったように「アーシング」を試してみました。

それは衝撃的な感覚でした。言い表しようのない幸福感に包まれたのです。その上、アーシングをしてからのヨガのプラクティスは、それまで以上に心地良い感覚をもたらしました。怒涛のアーシングライフの始まりです。

アーシングを始めた頃は、足裏を大地に触れさせて座るのが好きでした。ある日、手のひらもつけてみたら、30分も経つと右手の母指球からスーッと何かが大地に吸い込まれるのを感じました。鎖骨のあたりもスッキリしていました。

また、右足裏のくぼみがジリジリする感覚が、日に日に増していきました。さらに、小さな虫が這っていると勘違いするような、くすぐったいような微細な感覚、何らかの流れを、下肢の裏側に感じ始めました。それは日によって、手の親指から始まって母指球から前腕、上腕を経由して鎖骨まで続いたり、足の親指から下肢の内側を通って膝のあたりで感覚が強くなったりします。

東洋医学のツボに強い興味を持つようになったのは、治療中の先生とのやりとりからです。右足の親指から下肢の内側が痺れを訴えたとき、「不満や苛立ちの感情が、足の親指から始まる肝経(※2)に影響している
との説明を受け、何かがひらめいたのです。

さっそく「アーシング」の本を探して読み、足の裏のくぼみが「湧泉」というツボであるということを知りました。探求心に火が付き、3、4ヶ月、一日も休まずアーシングをしたほどです。その時は、病気が治るかもしれないという淡い期待を抱いていたのかもしれません。度々、裸足でヴィパッサナー瞑想も行いました。

しかし、私の症状は思うように改善しません。

免疫抑制剤の効き目が切れる頃に、右手の人差し指が腫れやすい。
月経前は足首のくぼみが腫れ上がる。
精神的ストレスが強くなると、手首の内側がや手のひらの真ん中、中指が腫れたり蕁麻疹が出る。

先生によれば、それらは大腸経、肝経、胆経、心包経が関係するということでした。大腸が炎症すれば手当てをし胸の真ん中の中というツボのあたりがざわざわすれば、手の中指をケアしました。ハートチャクラとも呼ばれるその場所は、何か月もずっと強い感覚がありました。

「冷たい!」「痛い!

治療の最中は、よく騒いだものです。でも、そんなときは…
「アニッチャ(無常)」
どんな感覚も感情も生まれては消えていくのだから、嫌悪も渇望も手放しなさい、というヴィパッサナー瞑想での教えが思い出されました。

さて、場面は病院での薬物治療に移ります。
薬を使っているのに、手首や肘の腫れた時には、さすがに落胆しました。免疫抑制の薬を自己注射したあとに、痛みが生じるのです。ドクターにそのことを伝えると、「病気の症状のひとつ、関節炎だ」との説明で片付けられました。

その時はそんなものかと思いましたが、血液検査の結果が基準値を超える度に、薬が増えたり減ったりすることには疑問を感じていました。腸の炎症はほぼ治まっているのに、その薬の副作用を薬で消す。その副作用をまた薬で…。壊れた部品をひとつひとつ治していくようなその治療法は、東洋医学の基本である「全体性」の対極にあるのではないか?

納得がいかなくても、「腸の炎症が再燃すれば命の危険がある
と言われれば、薬をやめたいという訴えを退けられても、医師にそれ以上のことは求められません。

関節が腫れていれば、抗炎症薬
鼻炎の症状が出れば、抗アレルギー薬
腹痛には、整腸剤
頭痛には、頭痛薬
抗炎症剤の副作用として現れやすい骨粗しょう症予防に、ビタミンD

薬が増え続けました。それでも、痛みや炎症が治まるのはありがたいことでした。

 

サトヴィカ・ヨガスクールのスタートと陰ヨガ

そんな中で、私はサトヴィカ・ヨガスクールをオープンしました。Sattvicaの由来は、インドで通ったレストランの名前。インターネットでsatvikaという人名があることを知りました。

インドでお世話になったガイドさんに連絡をして尋ねると、satvikaは女神Durgaのことだそうですsattvicaという名前をどう思うか聞いたら、そんな言葉はないとのこと。それでも響きが気に入り、私の中では、sattvicaという名前にすることは決まっていました。

慌ただしい日々が始まる中で、私にはおびえていることがありました。関節が腫れるとヨガのポーズが取れないので、インストラクター生命が断たれるのではないかということです。

身体をしっかり使う普段のプラクティスもできず、悶々としている時、ふと脳裏をよぎったのが「陰ヨガ」です。名前だけは知っていて、静かなヨガというイメージでした。手首などの関節を使わなくてもできるのではないか?

さっそくインターネットで動画を検索し、ポーズを真似て、すぐに気に入りました。関連するテキストやDVDを購入し、サラ・パワーズの「インサイト・ヨガ」を読んだときは、舞い上がりました。
ヨガと経絡理論とヴィパッサナー瞑想…。
彼女の提唱する陰ヨガが、私が執心しているつの要素を含むヨガであることを知ったからです。

これまで私が学んできたヨガと、アーシングを通じて興味を持った中医学とは、エネルギーの流れを良くすることに重きを置く点で共通していました。でも、両者を融合させる術がないものかと思っていたところ、既にその二つがミックスされたヨガが存在したのです。

痛みが現れると、ポーズの練習のために空けた時間を、読書の時間に当てました。ヨガの精神的な効果にさらに興味が湧き、中医学やインド哲学に関する本を日に何冊も読みました。ヨガの教えは今まで習ったことだけで充分だと思っていたのですが、さらに奥深さに魅せられて様々な角度から学びを深めました。

陰ヨガでは、ポールグリリーというもう一人の有名なティーチャーのDVDも見ました。シンプルで鮮烈な言葉が次々と頭に飛び込んできます。その中に、タオイズム(※注3とインド哲学の説明もありました。
「陰がtamas、陽がrajas、真ん中がタオ、それがsattva

ハタヨガ、陰ヨガ、アーシング、sattvica―すべてが結びついた瞬間でした。

 

ハンドヒーリングによる身体の変化、本山式経絡体操との出会い(2017年)

ハタヨガと陰ヨガ、アーシングがライフワークとなった頃、鍼灸師の先生よりハンドヒーリングをコンスタントに習い始めました。

鍼灸の治療を受け、アーシングを始めた1年前から、自分自身の手の変化は感じていました。いつでも温かく、何かしらの感覚がある。これが、アーシングを始める以前は言葉でしか理解していなかった、「気」「プラーナ」というものだろうと直感していました。

そして、ベーチェット病の患部である腸のあたりに手当てをほどこしたとき、涙がスルスルと勝手にこぼれました。なんとも言い表せない優しさに包まれるように感じたのです。

毎日のように手当てを続けましたが、強い薬を使ったあとの数日は、肝臓のある右わき腹と、右足の親指から始まる肝経のラインに電流が走るような感じを覚えました。また、身体を酷使した時には、右手の人差し指や母指球が腫れ上がることがあり、それが肺・大腸経に由来した経絡であると気づくと同時に、腸の不調にも気づくようになりました。

でもその頃は、「薬のせいで肝臓が疲れていても、免疫抑制剤をやめたらベーチェット病が悪化するから耐えるしかない」と考えていたのです。

その後、陰ヨガのクラスに習いに行くようになり、サラ・パワーズのテキストやポール・グリリー氏のDVDを見て、家でも学びを深めました。そうした中で陰ヨガのルーツをさぐるうちに、「本山式経絡体操」への興味が湧いてきました。

本山博先生は、インドのヨーガと中医学の経絡理論との橋渡しをされた方です。その著書を読んで感銘を受けた私は、さっそく先生の研究所を尋ねました。そこで経絡と内臓の機能状況を診断するAMIで測定をしてもらい、予想通り肝臓の気が極端に弱っていることを確認しました。肺や大腸にも不安定さが見られました。

また、ほぼ同じタイミングでベーチェット病の専門医とも出会い、関節の腫れがベーチェット病のための免疫抑制剤の副作用であると宣告をされました。何と、これまで使ってきた薬は、身体を良くするどこか副作用ばかりもたらしていたのです。

肝経のしびれは薬の弊害であると確信した私は、免疫抑制剤を中止しました。そして、数か月経った今、ここ数年で感じるようになった経絡の滞りがより和らぐのを感じています。
そして休みのたびに川原や海辺、山の中にいたるまではだしで歩き回ったり、そして好きなものを食べて好きなだけヨガをしてリフレッシュする日々の幸せに浸っています。

私自身がヨガや体操をすることによる気の巡りの改善や、また経絡の流れを実感したことで、多くの人にとっても、気の詰まりを取ることと、そのためのヨガが必要だと感じています。

筋肉をしっかり使って身体を強健にする伝統的な動のヨガと、経絡の流れ、陰陽の調和を重んじる静のヨガ、そしてセルフヒーリングやメディテーションによる心身のメンテナンスを行うことで、エネルギーバランスを安定させることが、サトヴィカ式ヨガの目指すところです。

パソコンやスマートフォンが普及した今、現代人の多くが頭を使いすぎています。交感神経優位の時代と言われて久しい現代において、ヨガの副交感神経を優位にする要素はますます重要になることでしょう。

多くの人が、自身の調和のためにヨガの実践をされることを願っています。

おわりに

鍼灸治療やハンドヒーリングを通じて、東洋医学の叡智とアーシングの恩恵をもたらしてくださった馬場健一先生は、自然との調和を重んじながら、日々スピリチュアル・ヒーリングの探究をされています。

馬場先生のその洞察力に心から敬意を表すとともに、深く感謝申し上げます。

長きに渡りヨガの指導をしてくださった乳井真介先生、燦燈舎ヨガ教室としての活動時より共に歩んできた高橋香先生をはじめ、当校にてヨガの指導に携わったインストラクターの皆様、また関わってくださっているすべての皆様に心から感謝しております。

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Balance 心身の調和

Earthing 地球、大地とのつながり、自然との共生

Hatha yoga ハタヨガ

Chinese medecine 中国伝統医学

Durga 女神ドゥルガー(サトヴィカ)

 

We are always BEHiND you.

サトヴィカを訪れる皆様が健やかな日々を過ごせるように、私たちはいつでも支援いたします。

2017年吉日

サトヴィカ・ヨガスクール ディレクター 加藤香耶